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お慈悲にすがる

 

「涙は、化学的に分析すると、水と少しの塩分にしか過ぎません。ただ、人が流す涙には、化学では到底計ることができない、その人の想いがたくさん詰まっています。」これは、私が大切にしている、ある先生の言葉です。

運転免許の更新を終えてお寺に戻ったちょうどその時に、仙台の友人から「そっちは大丈夫?」というメールが私の携帯電話に届きました。何のことか分からなかったので「何が?(^^)」と、笑顔の絵文字をつけて返しました。

すると「仙台が大変なことになっているみたいなんだけど、停電していてテレビが見られないんだ。家にはラジオが無いから何が起こっているのか全く分からない。とても大きな地震だったんだ。仙台で何が起きているのか教えてくれないか。」と、またすぐに返事がきました。

ただ事ではないと思いテレビをつけたのが、2011年3月11日午後3時半過ぎのことでした。どこの町かは分かりませんでしたが、押し寄せる津波、流されそうになっている車、けたたましいサイレン(か、クラクション)の音などが、画面に映し出されていました。

それを見た次の瞬間、私の中に「行かなきゃ。行かなきゃ。」という想いが溢れてきました。理由は今でも分かりません。

毎日の報道により被災地の惨状が伝えられる中、どうしたら行けるのか、どこの空港から入れば良いか、どこなら車が借りられそうかなどをとことん調べて、やっとの思いで青森空港から仙台に向かえたのが、発災からひと月後の4月11日でした。

多数の自衛隊車両に異様な雰囲気を感じながら50キロ規制が続く東北道を南下、宮城県に近づくにつれて路面の段差が多くなり、車が大きく跳ね上げられました。

高速を降り、仙台市内に向かう途中、田んぼに転がっている車が多数あり、その中には大木が刺さっているものもありました。人が乗っていた車もあるんだろうなと思うと、怖さ、寂しさ、哀しさなどの想いが湧き出てきたことを鮮明に覚えています。

津波被害を免れた友人宅に到着すると、

このひと月のことをたくさん話してくれました。今も心と記憶に残っていますが、最も忘れられないひと言が「宗教家にもっともっと動いてほしい。遺体を前にしている家族と一緒に手を合わせたり、祈ったりしてほしい。俺は、自分は無宗教だと言い続けてきたけど、そうじゃないかもしれないと思った。宗教を信じていないんじゃなくて、信用できる宗教家に出会っていなかったんだ。すがる何かが欲しい。土葬される遺体に敬礼をしている自衛官は、きっと辛い思いをしてる。」という言葉です。

この言葉から12年、「遅くなってごめんね。完成したら必ず一緒に祈りを捧げに行こうね。」の想いも込めて、全てを受け入れてくださる仏さまの建立に想いと力を注いでいこうと思います。皆様のお力添えを、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

北海道稚内市 井上耕心