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信濃毎日新聞(夕刊)令和5年9月26日

『祈りと社会』

 

東日本大震災遺族の思い受け「勧進」

 

膝にすがり泣ける大仏を

 

歳月が経過しようと、大切な人を失ったつらさ、悲しみは消えない。このしんどさを抱えてどう生きていけばいいのだろう。震災犠牲者の遺族が願ったのは、気持ちを丸ごと受けとめてくれる存在。そんな思いを受けて大仏建立計画が具体化、理解と費用を得るための「勧進」が始まった。

 

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏…」。檀家らが唱和する念仏の声が本堂に満ちる。宮城県石巻市の浄土宗西光寺で、石膏佛の「お迎え式」が開かれた。

3年後の建立を目指す「いのり大佛」を6分の一にした縮尺模版で、壁には実物大の絵も。

西光寺がある門脇地区は、東日本大震災で深刻な被害を受けた。犠牲者の遺族から大佛の建立を願う声が上がり、昨年にプロジェクトが立ち上がった。

石彫の「いのり大佛」は、光背を含めて高さ約5メートルを想定。平安時代の仏師、定朝(じょうちょう)が手掛けた平等院鳳凰堂の阿弥陀如来坐像を範とし、鳳凰堂の雲中供養菩薩像の模刻で知られる村上清さんが制作監修する。場所は、震災遺構門脇小学校そば、同寺墓地にある慰霊広場「祈りの杜」だ。

プロジェクト代表の住職、樋口伸生さんは参列者を前に「私たちにも死が訪れる。阿弥陀如来に迎えられて亡き人たちと再会するその時まで、苦しくても精一杯生きることが大切」と話した。

 

樋口さんによると、子供を亡くした人が長野市の善光寺にお参りに行った際、多くの仏像の中から子供に似た一体を見つけ、感動して拝んだことが話の発端だった。

「震災前も後も大仏建立は考えもしなかったが、むくむくと思いが湧いてきた。」と樋口さん。ただ、当然のことながら多額の資金が必要になる。目標額は6千万円。全国を行脚し、建立の意義を説いて浄財を集める「勧進僧」代表は、東京・山谷にある浄土宗光照院住職の吉水岳彦(がくげん)さんが担う。路上生活者の支援に長年携わってきた僧侶だ。

支援活動を通して樋口さんと知り合った吉水さんは、大震災の直後からこの地でボランティアに取り組んできた。「何年かかろうと、頂いた浄財で仏様をここにお迎えしたい。」と力を込める。

「いのり大佛」は24時間オープンの場所に設置し、「仏様の両膝に触れたり、くっついたりできる。」(樋口さん)ことに力点を置く。「お膝にすがって泣ける場所」と説明する吉水さんは「辛くなる時間が遺族によって異なる。」と強調する。

「子供を亡くしたある人は『朝方がつらい』と言う。夢に出てきて、嬉しいと思った瞬間に目覚め、あの子のいない世界に絶望する。そんなやるせなさをいつでも丸ごと受けとめてくれる存在が欲しい、と。古来、こうした人々の思いから大仏は造られてきたのだ、と学びました。」

震災遺族会「蓮の会」のメンバーで、小学生の息子を亡くした女性は、「なんで私なの、と思う。やり場のない思いを抑えているけれど、いつ感情が爆発するか分からない。」と語る。だから、自分でどうにもできないことは阿弥陀様に預けたい。

「亡くなって息子に再会したとき、どういう自分でありたいかと思いながら生きている。仏教は良く分からないけれど、いつでも行ける場所で大仏が見守って下さるのはありがたいですね。」

 

 

12年が経過してようやく感情が吐露出来る事がある。プロジェクト関係者によると、計画の発表直後、多額の寄付をしてるれた人がいた。津波の際、逃げようと知人を誘ったがその場に残り、自分は助かった。それがずっと心にあり、供養したいと思っていたのだという。震災は過去の事ではない。「ついさっき」の感覚だと関係者は語る。

建立を目指し、戦争や差別、病気などあらゆる苦しみに遭う人が救われますように、と祈りを込める。

樋口さんは「大仏ができても苦しみが無くなるわけではない。ただ、仏様は一生懸命に生きる私たちに力をくださる存在なのです。」と話した。

 

 

共同通信編集委員 西出勇志