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大佛勧進聖たちに誓う

7月5日は東大寺大佛殿を再興した勧進聖、俊乗房重源上人のご命日であり、俊乗忌という法要が東大寺俊乗堂で営まれます。

 

ここに祀られている重源上人にお会いできるのは、この俊乗忌と、東大寺を開山した良弁上人のご命日の二日間だけであるため、わたしは直接お会いしたくて俊乗忌に東大寺へまいりました。

 

俊乗堂に到着すると、お向かいにある行基菩薩のお堂も開いていました。

 

俊乗忌が終わるまで俊乗堂には入れませんので、先に行基菩薩に手を合わせに参りました。

 

まるでいきているかのような行基菩薩の眼差しに驚かされるとともに、東大寺建設当時の日本人の二人に一人が参加することになった大佛建立事業を76歳から開始して成し遂げられた力強さを感じました。

 

続いて、俊乗堂に入ると、重源上人ご自身が快慶に造立させたと伝わる阿弥陀如来像があり、さっそく三礼してお念仏を申し上げました。

 

その台座の雲の様子は、まるでいま目の前に如来さまが降り立ったかのようなつくりになっていて、真の如来様を慕わしく感じられるようなお姿でした。

 

源平の合戦で疲弊した世の中で、大佛像を再建することは極めて大変な事業であったと想像します。

 

それを成し遂げようとする時に、きっと毎日手を合わせておられたのが、この阿弥陀如来さまだと思うと、なおさらありがたく感じられました。

 

そして、お堂の中央には大きな手で念珠を操りながらお念仏をしているご様子の重源上人が座しておられました。

 

重源上人のご尊像の目の前には「大勧進上人南無阿弥陀佛」と書かれた位牌が祀られています。

 

重源上人はご自身の名前を「南無阿弥陀佛」とし、他人にも「○阿弥陀佛」というお名前を与えて、阿弥陀如来様の救いからはなれぬようになさっておられました。

 

また、大勧進のために、別所と呼ばれるお念仏を称える場所を複数ひらいたのも重源上人です。

 

お念仏と離れぬ生活をなさりながら、大佛像と大佛殿の再興を完遂された重源上人をあらためて尊くおもい、私どもが進めている石巻いのり大佛建立も無事に完遂できるようにと、その極楽からの護念を願いました。

 

最後には、昨年新しく建て替えられた法然上人25霊場の一つである東大寺指図堂に参拝し、法然上人にも、石巻いのり大佛の勧進を無事につとめることができますよう、如来さまとともにお導きくださいとお願いしてきました。

 

昨年3月にスタートしたこのプロジェクトは、みなさまのおかげさまで少しずつ進み、ついに今年の8月には、いのり大佛の鑿入れ式(のみいれしき)が愛知県岡崎市にて行われます。

 

いのり大佛様は、お姿が巨大であることを求めて造立するのではなく、大切な存在を失って苦しい方々が、いつでも泣きすがれることを願って造立されます。

 

津波で壊されることもないほどに大きく強い石で造立される大佛様は、台座を低くして、つらい方が本当に泣きついても良いように造られます。

 

多くの人の悲しみをすべて受けとめることができる、大いなるお慈悲のみ佛が「いのり大佛」です。

 

 

多くの人々の悲しみや苦しみ、傷みを前にして、生きるために大佛様を造立・再興された勧進聖たちの御跡に学びつつ、無事の完成を祈り勧進を完遂することを誓いました。

 

 

南無阿弥陀佛

 

 

 

こちらは重源上人のお姿を写したポストカードです。法然上人と同じように、手で数珠を操っております。

そのようにしてお念仏の声を通して阿弥陀如来様と離れぬ日々のうちに、大勧の大役を果たされたのでしょう。

俊乗忌が行われている俊乗堂

俊乗堂の正面です。

もともとは浄土堂という建物があったそうです。今は江戸期に大佛さまを再興させた公慶上人によって建てられた俊乗堂が、重源上人の遺徳を偲ぶ場所になっています。

行基堂の全体です。・

まるで生きているかのような力強い目に圧倒されました。

重源上人が快慶にお願いして造らせたとの由来がある、阿弥陀如来像です。こちらは直接写真が撮れなかったので、写真の写真です。